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"快適に出来ている"ことと"快適である"ということ、そして違和感について
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300系がもうすぐ引退します。古い車両が引退してしまうことはとても寂しいことです。当然新しい車両は様々な点で改良されていて"快適に出来ています"。ただ、"快適に出来ている"ことと"快適である"ことは必ずしもイコールでは無いと感じることがあります。先日、新幹線の乗り継ぎで幾つかの車両に乗った際に考えた事です。

古い車両には新しいものには無い快適さがあると信じています。ですから少しでも良いから古い車両を残して欲しいものです。そうすれば新しいものと古い物の両方の良さを実感出来るような気がします。最近は機関車や電車でも古い車両を限定的に走らせていることがありますが、観光と絡んでいなくても是非やって欲しいものです。

そうした感覚と違うかもしれませんが最近感じていることが別の分野であります。最近の住宅メーカーの家や新車を体感すると、便利な機能が沢山あったり性能自体は申し分ありません。しかしながら多くの方が快適に感じる一方でまた多くの方には(少数かもしれませんが)違和感を感じるようにできている気がします。デザインや素材感・音や匂いも含め、これが”快適に出来ている"ことと”快適であること”の違いにも通じる感覚です。

性能や便利な機能を追い求めるが故に家も車も家電化しているようで私にとっては過剰な気がするのです。多機能であることが生活を便利にしている部分もあり、また逆に生活を拘束していたりもしている気がしています。

そんな感覚と関連する出来事がありました。少し前に自宅のハイビジョンレコーダー壊れたのですが保証期間をすぎていましたのでメーカーに修理費を聞いて、それなら次期機種の発売を待とうと2ヶ月間程経ちました。今まで便利に色々な機能を使っていたのですが、最近はテレビから解放されているような感覚があります。元々テレビを長時間見るほうでは無かったのですがついつい撮り貯めていてそれをせっせとDVDにも焼いていました。

そうしたものが無くなる事で生活が少しシンプルになった爽快感があります。社会人になったばかりの時に一度テレビの無い生活をしていた時期がありましたが、その時と似た感覚です。この爽快感をあまり長くつづけると家族のひんしゅくを買いそうなのでまた購入するとは思いますが、こういったOFFの時期があると本当に自分にとって必要なものや機能が見えてくる気がします。

メーカーや国の政策で薦められている新しくて高性能・多機能なものが決して悪いわけではありません。ただ、次々に出てくるものを受け入れつつ生活自体が過剰な機能に拘束されないようシンプルな暮らしが出来るように意識することも大切だと思います。快適に出来ていることと快適であることの違い、こんな些細な感覚もやはり建築や空間の設計に生かしていきたいと考えています。
by ksa-memo | 2012-03-04 23:25 |
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